あんぱんの起源は木村屋総本店!あんぱんの歴史をひも解こう
あんぱんといえば、いわずと知れた日本を代表する菓子パンです。「パン」という欧米から渡来した食文化と「あん」という日本古来の素材が、うまくミックスされたあんぱん。しかし、いつからあるのか、どうやって誕生したのかなど、あんぱんについて知っていることは意外と少ないのではないでしょうか。
今回は、日本を代表する菓子パン・あんぱんの歴史をご紹介します。
あんぱんを生んだ木村屋創業の歴史
まずは、あんぱんを生み出した老舗パン屋・木村屋について簡単にご紹介します。
木村屋は1869年(明治2年)に木村安兵衛によって創業された日本の老舗パン屋です。当時の人々は文明開化に沸き、西洋の文化をどんどん取り入れていました。もちろん、パン食という西洋の食文化も徐々に知られていきます。
しかし当時のパンはまだ今のようなふっくらもちもちのパンではなく、硬めで水分の少ないものが主流でした。お米や玄米が主食の日本人にとって、あまり好みではなかったのでしょう。そのためか、木村屋の創業当時はまだパン食が一般家庭には十分普及していませんでした。
あんぱんの誕生
木村屋創業から5年経った1874年(明治7年)、木村安兵衛と次男の英三郎は日本にパン食を普及させるために試行錯誤していました。そこで思い出したのが酒饅頭。酒饅頭の酒種(米と麹から作られた種)を利用することによって、「日本人に受け入れられやすく、かつふんわりとしたパンを作れるのでは?」と考えました。
そして酒種発酵種によって作りあげたパン生地であんと桜の塩漬けを包み、初めてのあんぱんが誕生。
日本人になじみ深い酒種発酵種とあんと桜、そこに西洋のパンが加わったことで、当時の文明開化をイメージさせる和洋折衷のパン・あんぱんが生まれたのです。
明治天皇へあんぱんが献上される
明治8年4月4日、明治天皇に仕える役人・山岡鉄舟のはたらきかけにより、東京向島の水戸藩下屋敷を行幸された明治天皇に木村屋の酒種あんぱんが献上されました。明治天皇はあんぱんを気に入り、この出来事をきっかけにあんぱんはその存在を広く知られるようになったといいます。
実は4月4日は「あんぱんの日」として記念日に制定されているのですが、その由来はこのエピソードによるものです。
さまざまな味のあんぱんが登場
木村屋では、創業から100年以上経つ現在でも開発当時の酒種発酵種と製法を守り続けています。
酒種発酵種だけではなく、酒種あんぱんの生地に適した小麦粉や発酵管理、そして北海道の十勝で採れた厳選の小豆を独自の方法で炊きあげるなど、酒種あんぱんへのこだわりも変わりません。
現在は、木村屋の伝統的な酒種あんぱんをベースとして次々と新たなあんぱんが生み出されています。「栗」「紀州梅」「芋」「白桃」「みかん」「よもぎ」「マンゴー」「栗かぼちゃ」など、季節に合わせたさまざまな味のあんぱんを楽しむことができます。
おわりに
今回はあんぱんの歴史についてご紹介しました。
今でこそ、パン屋さんやスーパー、コンビニなど、さまざまなお店で簡単に手に入る身近な菓子パンとなったあんぱん。日本で生まれ、日本で育ったあんぱんは、今では日本だけでなく世界中で愛される「日本のパン」となっています。
2020年の東京オリンピック開催を目前に、日本の食文化に対する注目度はさらに高まっています。フランスやドイツなどのヨーロッパ風のおしゃれなパンも良いですが、シンプルな日本のあんぱんも負けていません。日本の食文化の一角を担うあんぱん。甘いものが食べたくなったときには、あんぱんを食べてほっとひと息ついてはいかがでしょうか。